すどう博のプロフィール
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「将来の宇都宮市民に借金を背負わせたくない」

すどう博の半生、そして今回立ち上がる理由

  

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すどう博 -宇都宮市長候補
すどう博(ひろし)、77歳。 現職市長より18歳年上の老練弁護士が、立ち上がる。 茨城での幼少期、生活費がなく短大を中退してガス工場で働いた青年期、30歳を過ぎてからの大学入学と司法試験、消費者を守る弁護士としての宇都宮での活躍。 すどうの人生は、挑戦と実現の連続だった。 そんなすどうのこれまでの人生と、そして宇都宮市政を見つめる「今」に迫った。

  

幼少期から短大を中退して働くまで

  

―― 子どものころのお話をきかせてください。

茨城県の結城市の出身です。当時はまだ結城郡上山川(かみやまかわ)村と言っていました。

1943年(昭和18年)、戦争が終わる前々年の10月に生まれました。

小さな集落でしたが、家族は大家族で10人近くが1つの家に住んでいました。兄弟は私を入れて6人。父は下駄をつくって販売する商売をしていました。下駄屋の商売は戦後まもなくの頃まではかなり繁盛していたのですが,そのうち靴に押されて下駄を履く人が少なくなったため,昭和30年頃までには下駄屋の商売は辞めしまいました。

その後、父は,職人として他の業者のところで働くようになりました。母は,5反歩ほどの田畑をつくっていました。

私自身はとにかくわんぱくで、強情な子どもだったようです。ガキ大将と喧嘩したり、相撲をして遊んだり。親の言うことをきかないで納屋に閉じ込められたことも覚えています。中学と高校は柔道部で、こうみえて意外と「肉体派」です。(笑い)

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インタビューは自宅に隣接した「須藤博法律事務所」で収録した。背後にある本棚には法律書から須藤が好んで読む文学まで、多様な本で埋め尽くされていた。

  

―― 今、須藤さんは弁護士をされています。勉強がお好きだったのかなと勝手に想像しますが、小さい頃から勉強をがんばったのでしょうか。

勉強はどちらかといえば好きでしたが、勉強というより、とにかく漫画や本を読むのが好きでした。

家にはお金がなくて本を買うことはできなかったので、兄の友人で東京から疎開してきた人に本を借りて読んでいました。落ちている栗を拾ってその人に届けて、代わりに本を借りるんです。小学校の図書室に入れるようになってからは、放課後は毎日図書室に詰めて、本を読んでいるような少年でした。

高校を出て大学に行こうとしたときに、家にはお金がないという現実に直面しました。奨学金を得るための試験も受けましたが、行きたい大学には合格することが出来ず、結局1年間浪人しました。

しかし、浪人して入った短大も、やはり授業料を支払うためのアルバイトが忙しく、結局授業にはほとんど行くことができませんでした。授業に来ないなら退学してください、と学校から言われ、退学しました。1年生の終わり頃でした。

  

―― どのような生活だったのでしょうか。

4月に短大に入学して、最初は奨学金を頼りに暮らしていましたのですが、実家からの仕送りはなく、お金がないので、朝ごはんはなし、昼に26円のコッペパンを2つ。夜は米を炊いて、おかずがなくて塩だけて食べたこともありました。

これでは体がもたない、と思って夏にはアルバイトをはじめました。東京ガスの下請け会社で計測の手伝いをする仕事でした。

日給800円のアルバイトで、なんとか食うことはできるようになりましたが、今度はアルバイトとして働くために時間をとられてしまい、結局大学の授業に出席することはできなくなってしまったんです。

  

―― 今、日本の高等教育にかかるお金は他国と比べても非常に高く、
  先進国の中でこれだけ教育にお金がかかる国は日本だけなのではないかと言われていますよね。

そうなんですよね、私が大人になってからのことですが、弟が「親が悪い、家が貧乏だった」と言っていたのを強烈に覚えています。生まれた家や親の財力によって教育を受けられるかどうかが決まってしまうというのは絶対にあってはならないことです。

それに、学費の高騰化だけでなく、今は、たとえば宇都宮でも、コロナ禍で大学生のアルバイトが減少して学業の継続が難しくなったり、オンラインのみの授業で入学してから満足の行く学生生活が送れていない大学生がたくさんいます。

私は、どんな家に生まれても、希望すれば受けたい教育を受けられる、そんな宇都宮にしたいと思っています。そのために、宇都宮市独自の給付型奨学金を創設したいと思っています。

  

ガス工場勤務、退職しての大学入学、そして司法試験

  

―― 短大は1年も行かずに中退してガス工場で働かれたのことですが、その頃のお話をきかせてください。

今は築地に代わる新しい市場になった豊洲の埋立地に東京ガスのガス工場がありました。その工場で10年働きました。3交代制型の勤務でした。夜中もずっとガスをつくるんです。私は工場では原油からガスを作る職場で働いていました。

業務以外の時間では、組合活動として職場の仲間とレクリエーションでハイキングや歌声喫茶に行きました。楽しかったですね。

ガス工場ではちょうど10年働いたのですが、実はその間「俺の人生、これでいいのかな」と思っていました。そして、当時付き合っていた彼女にふられたのをきっかけに「人生を変えてみよう」と思い立ち、大学に行くことにしたんです。失恋して職場を去るというのは、「フーテンの寅さん」みたいでしょう(笑い)

  

―― しばらく社会人として働いてから入った大学ということですが、大学生活はいかがでしたか?

みんなで六大学野球の応援に行ったりして、楽しかったですね。昼は授業を受けて、夕方からはラーメン屋や居酒屋でアルバイトをしたり。授業外では、法律相談部や囲碁部などでのサークル活動もやっていました。普通の大学生の生活ですね。

大学1,2年次にたくさん単位をとってしまったので、大学3年からは授業の数も少なくなりました。ですので、3年次からは茨城の実家から大学に通いました。大学の学費は奨学金でまかなっていました。

  

―― 大学を卒業して司法試験の受験生活に入ったとのことですが、司法試験を受けて弁護士になるというのは大学在学中から決めていたのですか?

いえいえ、特にそんなことを決めていたわけではありません。大学で周りの人たちがみんな受けているから、という理由で私も司法試験を受け始めたんです。

大学を卒業して受験生活をしている間は、主に塾で講師のアルバイトをして生活していました。塾講師として生計を立てて、一応生活は安定していました。

試験のほうは、何年も受けている間に途中で試験の傾向が変わって、それまで合格していた短答式試験に受からなくなる時期ができてしまったりしましたが、「このまま勉強を続ければ、そのうち受かるだろう」くらいに楽天的に考えていました。

結局、12年目の受験の年でしたが、今回駄目だったらもう辞めよう、と思った年に最終合格することができました。

司法試験に合格して司法修習生として宇都宮に配属されたのが縁で、宇都宮で弁護士としての執務をはじめました。

すどうが弁護士業務の予定管理に使用しているという「訟廷日誌」。使用されがページがくたくたになって色が変わっているところからも、「弁護士須藤博」の活躍が垣間見える。

  

―― 弁護士として、宇都宮ではどのような事件に取り組んできたのでしょうか。

弁護士としては、長年、消費者問題を中心に取り組んできました。クレジット・ローンやサラ金、自己破産や債務整理を取り扱ってきました。「宇都宮だから」という特殊な事件というよりは、どこであっても生じ得る、市民の生活上のトラブルや困難の際に力になれればという思いで取り組んできたつもりです。

  

「LRT凍結と多選是非が2大争点」

  

――長年弁護士として宇都宮市民の暮らしに寄り添ってきたすどうさんが、今回政治の舞台に立つことを決意したのはなぜですか?

誰もやらないなら私がやるしかない、という気持ちからです。自分では自分のことを「人に頼まれたら断れない」性格だと思っています。実際に今回も、まわりから頼まれたのが決断するきっかけとなりました。

しかし、私はこうみえても頑固で、本当に嫌なことはちゃんと断るんですよ(笑い)。だから、今回も、断れない、断るわけにはいかない、と思った。やはり「自分がやらなければ」という気持ちなんです。

それくらい、とにかくLRTを一旦凍結しなければ、という決意です。

  

―― LRTの問題について改めて教えてください。

これはもう、本当にとにかく一旦凍結しないといけません。運営会社が累積赤字を抱えて倒産することにでもなろうものなら,宇都宮市民にとてつもないダメージを与えることになります。将来の宇都宮市民に莫大な借金を押し付けるようなことをやってはいけない。

まず、建設費の問題。建設費として現在工事中の駅東口の工事だけで458億円という莫大は費用が必要です。それ以外にも、LRT運行に伴う駅東口の再開発では市の土地が不当に安い価格でマンションデベロッパーに売り出されるなど、適正さが疑われるお金の流れもあります。

これだけの巨額を投資してはじめるLRTの運行ですが、費用を回収するだけの運賃収入が得られる見込みがあるのかは極めて怪しいのです。市は乗客の9割を占めるのは通勤通学客だと言っていますが、コロナによって在宅勤務やリモートワークがメインになりました。このままでは、誰も乗っていないスカスカの路面電車が走ることになってしまいます。

お金をかけてつくった、しかし誰も乗らない、そのような状態になって運賃収入で費用を回収することができなければ、運営会社は倒産し,線路や送電設備などの装置や車両などの後処理に大きな費用がかかることが予想されます。そればかりか,国から補助金の返還も求められます。そのようなことになれば,宇都宮市民の負担も計り知れないものとなります。これによって市民生活に本来回されるべき予算が縮減されてしまい、市民サービスが低下することが危惧されます。

現在は緊急課題としてコロナ対策を優先すべきです。そのために,現在進められているLRT工事は一旦凍結して,LRTにかける費用をコロナ対策にまわすべきだと思います。LRTをどうするかは,その後に住民の意見を聞いて決めていくのがよいと思います。

  

―― すどうさんは今後の宇都宮における公共交通のあり方についてはどのようにお考えですか?

LRT事業を廃止するということになった場合の宇都宮市の公共交通のあり方については、バスを中心とした「サービスとしての移動手段(Maas:マース)」という考え方を取り入れていくことが重要だと考えています。

これは,いろいろな種類の交通サービスを、需要に応じて利用できる一つの移動サービスに統合するという考え方です。自動車以外にも、自転車、バス、電車などすべての交通手段を単なる移動手段としてではなく、一つのサービスとして捉え、シームレスにつなぐ新たな移動の概念です。

お年寄りの外出を容易にするというのであればドアツードアである必要があります。自宅前から利用できる交通手段を考慮しなければなりません。その時に、このMaaSの考え方が取り入れられるべきだと思うのです。

宇都宮市のLRTについて、東は真岡駅、西は鹿沼駅まで延伸するという考えもありますが、これは本当に19世紀ないし20世紀的な考え方で問題外です。かつて日本の多くの地域は、鉄道とともに発展してきましたが、その考え方を今に持ち込んでいるのです。しかし、現在では、都市部を除いては鉄道やバス路線の廃止が目立ちます。車社会と人口減が主な要因です。車の非所有者は取り残されます。運転できない高齢者も同様です。

こうした状況を断ち切る可能性を持っているのがMaaSです。基幹となる鉄道やバス路線を軸にデマンドバスやタクシーなどを効率的かつ利用しやすい形で提供することで新たな需要を喚起し、顧客減に歯止めをかけながらコスト削減に努めることで事業の継続性を確保するのです。これにより、マイカー非所有者も遠方のスーパーや病院に安心して出かけることが可能になるのです。地域の各移動サービスを一つの公共サービスとして捉え,地域の課題解決に結び付けることがMaaSの位置づけなのです。これが私の考えている少子高齢化社会での交通政策です。

  

―― LRT以外ではどんなことを訴えたいですか?

私は佐藤さん(現市長)はしっかりやってきたと思っています。コロナ対策にしても、市の中心部に人を呼び込む施策や、大谷地域の振興なども、立派にやってきたと思っています。市民のみなさんや、市役所の職員からの信頼も厚いと思います。

ただ、一方で、もっと市民に目を向ける市政にしていくべきだとも思います。例えば、小中学校で給食費の支払いのために保護者に「保証人」をつけさせる制度。こんなこと他の自治体ではやっていませんが、宇都宮市ではなぜか長年温存されています。

また、健康保険料が支払えない人から健康保険証を取り上げてしまう措置も宇都宮では多い。

その他にも、コロナに目処をつけるための対策、そして昨年宇都宮市内でも大きな被害を出した台風などへの災害対策も重要です。子どもたちにもっと良い教育を実施する宇都宮市にしたいですし、子どもの医療費も18歳まで無償化したいです。

そして、「いくらなんでも5期20年は長くすぎでしょう」と言いたい。佐藤さんのように頑張ってきた市長さんでも、それだけ長くやれば職員や業者からの「忖度」がどうしても生まれてしまうし、そのことによる「停滞」も生じるのではないでしょうか。

  

―― LRTと多選による市政停滞の解消が2つの大きな主張だということですね。
  最後に、すどうさんは宇都宮市をどんな街にしたいかを教えてください。

弁護士として宇都宮市で27年間、様々な人々の暮らしの悩みに向き合ってきました。市民のための政治が行われる宇都宮にしたいです。

たとえば、私の妻は海外出身です。23年前に海外から初めて日本にやってきて、異国で苦労しながら私といっしょに二人の子どもを育てました。

来日した当時の妻のように、周囲に頼れる人がいない中で宇都宮で頑張って生活している人は今の宇都宮にもたくさんいます。それはなにも外国籍の住民だけではないはずです。日本人だって誰もが、孤独を感じること、生活するうえでの困りごとが生じることもあります。そんなときに、その人の悩み、痛みや苦しみに寄り添って、一緒に歩めるような優しくて温かい宇都宮にしたいです。

すとうひろし(須藤博) 1943年10月28日生まれ。茨城県結城市(現在)出身。東京都立短期大学中退。東京ガスでの勤務を経て、明治大学法学部入学、同卒業。1990年に司法試験合格、司法修習生として宇都宮地裁に配属。1993年、弁護士登録(栃木県弁護士会)。消費者事件、労働事件、刑事事件など、いわゆる「街弁」(街の弁護士)として活躍。現在「宇都宮市のLRT問題連絡会」共同代表。宇都宮市小幡在住。家族は妻と1男1女。 日々の活動や政策を更新している公式Twitterはこちら